名谷は平安時代から朝廷に献上するヤマモモの産地だった
平安時代の朝廷の例規集とも言える「延喜式」には、「諸国献進菓子」が列記してありますが、摂津国車村、白川村からは楊梅子(やまもも)を献上していたことが記録されています。それほど、上質のヤマモモが生産されていたのでしょう。
現在でも、園内の里山にはヤマモモの巨木が何本か残って往時の様子をしのぶことができます。
かの藤原定家は
「たまほこの道行く人に、ことつてて、山ももおくれ白川の人」と歌を詠んだと伝えられていますが、この歌が定家によるものかどうかの真偽は定かではありません。
詳しくは、以下を。
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